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【希望<絶望】

バックドロップで死んだ三沢光晴!2代目タイガーマスク!

2009.06.14
広島市中区基町の県立総合体育館で2代目タイガーマスク三沢光晴がバックドロップで死亡!
斎藤彰俊の必殺技バックドロップが決まった!さすが王者だ!
三沢光晴もよく戦った!
ところで斎藤彰俊はこれからもプロレスを続けるのだろうか?
試合の動画を見たい奴は見ておけよ!何度見ても熱い試合だ!

川田、永田らレスラー仲間ショック…三沢光晴さん急死
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090614-00000117-sph-fight
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6月14日8時0分配信 スポーツ報知

 「まさか…」「信じたくない」-。13日の試合で頭部を強打し死亡したプロレスラー・三沢光晴さん(46)。突然の悲報に、同僚レスラーや親交のあったマット界関係者は一様に言葉を失った。

 初代タイガーマスクとして活躍した格闘家の佐山サトルさんは「プロレスの結晶が、また消えてしまった」と語る。昨年の12月に2代目である三沢さんと初めての「タイガー対決」が実現。「今から思えば、それがせめてものこと。2人とも年をとって体も重くなってしまっていたが、でもまだまだやれると確認し合ったばかりなのに…」

 足利工大付高レスリング部の後輩で、三沢さんがノアを旗揚げした際には、全日本に残留して団体を支えた川田利明(フリー)は「信じたくないし、信じられない。それしか言えないです」と言葉少な。

 マット界では三沢さんの下の世代にあたり、ノアとの交流戦という扉を開いた、新日本の永田裕志は「突然のことで、言葉も出ません」と言うのがやっと。「今年の東京ドーム大会の前日、1月3日に、東京ドームホテルでごあいさつさせて頂いたのが最後でした。ただただ悲しみがあふれるばかり…。きょうはこのくらいで勘弁して下さい」
小島「言葉出ない」 全日本の小島聡は「急なことでビックリしてしまって言葉が出てきません。ご冥福をお祈り致します」。新日本の中邑真輔は「1月4日に戦ったのが最後。ノアの試合に参戦するときは、ノア=三沢さんだという気持ちでやってきました。ノアの最後のとりででした。目標にやってきただけにとても残念です」と、無念そうに語った。

 K-1プロデューサーの谷川貞治氏は「言葉が浮かんでこない」と、ぼう然。「経営者として同じ立場の人間としてみていた。地上波の打ち切りなど、いろんな問題があったと思う。心労も重なって、気持ちは痛いほど分かる。本当に残念」とした。

 今回の悲劇で大きな危機を迎えることになるプロレス界。佐山氏は「それだけハードで過酷な世界だということ」としながらも、「ここでプロレスを終わらせたらいけない。その責務を痛感しています」と強調した。

 ◆きょう新日本・後楽園大会で10カウント 蝶野は無言… 三沢さんと同世代でプロレス界をけん引してきた新日本プロレスの蝶野正洋(45)はコメントを差し控えた。関係者によれば三沢さんの悲報にショックを隠せないようだったという。14日には新日本の東京・後楽園ホール大会があり、10カウントゴングの黙とうが行われる予定で、6月シリーズ不参加の蝶野も来場して三沢さんの冥福を祈るという。

 ◆三沢さんの得意技 打撃系はエルボーパット。回転式、マシンガン式、ダイビング式などバリエーション豊富で、三沢さんの攻撃力を支えた。投げ技の代表格はエメラルドフロウジョン。相手をボディースラムの体勢で右肩に抱え上げ、脳天から突き落とす。これを改良したのが、ブレーンバスターの体勢から抱え上げ、同じ形で突き落とす変形エメ・フロ。落差が増し、より破壊力が増す危険な決め技となった。このほかタイガーマスク時代に編み出したタイガードライバー(相手を空中で一回転させてから背中からマットにたたき付ける必殺技)も有名。高い身体能力を生かしたフライング・ラリアット、エルボー・スイシーダの飛び技も破壊力十分だった。

 ◆三沢さんのプロレス人生
▽1962年6月18日 北海道・夕張市生まれ。
▽81年3月 全日本プロレスに入門。
▽8月21日 同期の越中詩郎との戦いでプロレスデビュー。
▽10月 シングル戦初勝利を果たす。
▽84年7月 遠征先のメキシコから極秘帰国後、2代目タイガーマスクに。
▽8月 ラ・フィエラとの一戦で“タイガーマスクデビュー戦”で見事勝利。入場曲は「スパルタンX」。
▽85年8月 NWAインターナショナルジュニアヘビー級王座を獲得。初のシングル王座に。
▽86年11月 世界最強タッグ決定リーグ戦にジャイアント馬場とのタッグで初出場。
▽88年5月10日 結婚。同時にタイガーマスクの正体を公表する。
▽89年3月 NWA世界ヘビー級王座戦で敗戦。左ひざのけがが深刻化し、手術を受けるために長期欠場。
▽90年1月 リングへ復帰する。
▽5月14日 冬木弘道(故人)らとの試合で、執拗(しつよう)にマスクをはぎ取られそうになり、自らマスクを取って突進。素顔に戻る。
▽92年8月 ハンセンとの3冠統一ヘビー級王座を奪取。第10代王座に就く。
▽99年5月 全日本プロレス社長に就任。
▽2000年6月 全日本プロレスに退団届を提出。
▽7月7日 三沢さんがつくった新団体を「株式会社プロレスリング・ノア」として登記。
▽8月5日 ディファ有明で旗揚げ戦開催。
▽01年4月 初代GHCヘビー級王者に。
▽07年12月10日 初のプロレス大賞・最優秀選手賞を受賞。
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